2014年10月24日金曜日

目を覚ましていなさい。



目を覚ましていなさい
マルコ13,28-37
13:28 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
13:29 そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
13:30 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
13:31 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
13:32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
13:33 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。
13:34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。
13:35 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
13:36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。
13:37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」
1.終わりの前の印
ヨロッパに雪が解けたら、暖かくなります。もうすぐ花が咲き,芝と木々は緑になります。小鳥が鳴き、巣を造って、卵を温めます。土物は番になり、子供を産みます。春になります。寒い冬が終わって、もうすぐ暖かい季節が始まります。
パレスチナの春はもっと短いです。いちじくの木に葉っぱが出ます。枝には樹液が入ります。そして間もないうちに暑い夏がはじまります。いちじくの木の葉っぱを丁寧に観察しないと、夏の急な始まりでびっくりするかもしれません。
私達クリスチャン達が皆期待している大イベントは主の再臨です。イエス様が私達をよく準備したいのです。そのために主は私達が空騒ぎを見抜くように注意しています。魂の敵は私達を惑わそうとします。私達がニュースにスローガンを見ると、それは主に悪い人の報告があります。いじめ、うそ、泥棒、殺人、姦淫などがあります。昔共産主義者は金持ちを殺害して、彼らの持ち物を貧しい人に上げるためでした。こうして世界はもっと良くなると彼らが思っていたからです。今日はサラフィスト派の人たちは人殺しをします。彼らはそのためにパラダイスに入ると言われましたからです。頭の良い人はそんな馬鹿らしいことを信じません。『人を殺してはならない』と言われた神様はこういう罪人を本当に報いると思いますか?もうちょっと頭を使って下さい!また時には学校の中で先生方は子供達に不品行を勧めます。これはもちろん神様の戒めに反対しています。普通の人の心さえもこれが分かったいるでしょう。これは、終わりの時代の混乱を表わしているではないでしょうか?
このマルコの13章の中にたくさんの出来事が書いてあります。戦争、地震、災害、クリスチャンの迫害、教会や家族の中の分裂、偽預言者、宇宙的な災害、日、月、星の混乱、それから主の再臨。
2.聖書に信頼しましょう
主イエス様の進め 31節 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。これは本当ですか?各時代の人々はこういう質問をしました。しかし歴史を長い間を眺める人には『聖書は正しい。』と言う答えは与えられました。もちろん神様を否定する人はこれを認めたくないです。しかし時には聖書の真理を否定出来ないこともありました。ドイツの王フレデリク二世は無神論者でした。これは学問の高い学者の本を読み、彼を自分のところへ呼びました。そして彼に『聖書の神様が本当におられる一つの明確な理由を出してくれないか!』とチャレンジしました。それでその人は『陛下、それはユダヤ人です。』と答えました。ユダヤ人は聖書の神様を信じる信仰によって違う国民達と変わりました。ユダヤ人は何回も、何回も迫害されましたが、一度も地峡からなくされたことはありません。これはここの30節の成就です。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この時代はイスラエル民族です。70年BC都エルサレムは破壊されました。イスラエルは全世界に散らされました。イスラエルの敵はたくさんいました。しかし彼らは神の古い民を地上から消し去らせることが出来ませんでした。逆に1948年にイスラエルは国連によってもう一度国民として認められました。エルサレムは改めてイスラエルの都となりました。
いちじくの木はイスラエルの象徴です。神様は今の時期にもう一度古い契約の民に御心を向けて下さいます。イエス様を救い主として信じているユダヤ人“messianic Jews“はあつまります。使徒パウロはローマ人へ手紙11,25にこれを預言しました。兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。この時期はもう既に始まりました。私達が主イエス様を信じるようになったユダヤ人の証を聞けば聞くほどに主の再臨は近いです。ローマ書11,15に「もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。」とあります。あんなに長い間主を否定した民が最終的に主を受け入れるなら、それはすべての人々の前の明確な奇跡です。こういう信仰の奇跡はどこででも可能になるはずです。だれも救われえないはずはありません。あなたも救われます!
3.どうして目を覚まさなければなりませんか?
32節 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。ある時に起き上げなければならない場合、まだ眠くて時計を調べます。まだ起きあげる時まで少なくても30分がある、と知るなら、寝ぼする可能性が大きいです。目を覚ましている時に次官が分からないなら、とにかく起きます。と言うのは気をつけないと、遅れるかもしれないからです。気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。33節。目を覚めるのは私達一人一人の責任です。この真理は34-37節に現れてあります。聖書の他の箇所では似ている例え話があります。ここでは一つの真理が示されてあります。私たちは主の再臨に備えるよぅに、心を主に向けることです。時にはお客様の着く時は遅いことがあります。もしホストさんが疲れているなら、彼らを迎えるまで目を覚めていないかもしれません。でも、もし自分の子供なら、彼らがいくら遅くても、無理でも待っています。
では、あなたは最近主の再臨を待ち望んだことはありますか?主は私達が目を覚ましている状態を望んでおられます。しかし現代の人の傾向は主の再臨のことを忘れるようです。ペテロは第二の手紙でこういう傾向を描きます。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」3,4ペテロは洪水の人々の運命を思い起こします。私達の、神様を忘れてしまった世界の上に同じように審判の災いが襲ってくる可能性尾があります。今まで神様の裁きがまだ来ていない理由はただ、私達に悔い改めのチャンスを与えるためです。このチャンスを利用し、悔い改めましたいと思います。

2014年10月11日土曜日

私たちが惑わされないように



偽キリストたちと本当のキリストの現れ
マルコ13,21-27
3:21 そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。』とか、『ほら、あそこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
13:22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
13:23 だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。
13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、
13:25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
13:27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます
1.にせキリストたちによる惑わし
終末の一番の危険は主によって、教会の外からの迫害ではなく、教会の中からの惑わしです。迫害は各時代に起こりましたが、それは教会の力を奪うことは出来ませんでした。クリスチャン達の信仰の火は迫害によって消されません。イスラムからの殺害者たちはイエス様を信じる信仰を殺せません。逆に多くの場合、迫害の激しさによってはクリスチャンの人数が増えました。教会にとって危ないことは、偽キリストやにせ預言者の活動です。
22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
迫害の時に,みんなは一生懸命に主の再臨がすぐなるように祈ります。心から願っていることについて私たちはそんなに細かく判断しません。詳しいことをすべて聖書の預言に合わなくても、祈りが聞かれたと信じたいです。とにかく救いがすぐ来ます。
魅力的な人格の人々は教会の兄弟姉妹に影響を及ぼします。これだけでは悪くないです。人が自分の勤めを自動的に果たしているか、あるいは責任感をもって熱心に教会に使えて、正しいコースを示し、励ましやサッポートの必要な人を手伝っているか、この区別は分かります。例えば主はペテロに「わたしを愛しますか?」と聞いて、ペテロが『はい!』と答えてから、「わたしの羊を僕しなさい」と任命しました。心より主のために奉仕するリーダーは教会の力となります。
しかし、主の警告に当たる『偽キリストと偽預言者』は、奉仕を主のためではなく、自分のためにする人々です。主の栄養を奪おうとする人々です。神様に使わされている救い主や預言者のような振る舞いをしますが、聖書と違うことを教えています。警告や批判的な声に対する耳はありません。
主は教会を惑わす人たちに対して弟子達に注意します。時々小さなグループは教会全体に自分の意見を押し込みます。もしのなかで不思議な力のあるリーダーが入っているなら、そして教会全体が間違った方向へ行ってしまうなら、それは大変な結果になります。私達がそうならないように、どうしたら良いですか?
主イエス様は聖書のいくつかの箇所で、偽預言者に従わないように警告します。私たちはどうやって偽預言者を見分けることが出来ますか?その前に深い神学を学ぶ必要がありますか? あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。マタイ7,16またガラテヤ5,22.23に御霊の実が載ってあります。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。簡単に言いますと、もし人と話してから、自分が神様に愛された気がするなら、あるいは、自分自身もこういう素晴しい人になりたい気持ちが起こされたら、これは聖霊の実です。しかし偽預言者には 敵対、怒り、ねたみなどが感じます。神様が聖なる方だ、ということを感じません。また神様の愛をも感じません。神様を賛美したい心が中々起こりません。これは偽預言者です。
お金の場合には、時々偽札の警告があります。私たちは騙されないために、どうしたら良いですか?私たちはお金の本物を細かく知らなければなりません。私たちはドイツに帰った時には、ある時にはマルクの代わりにユーロが使われました。私たちはびっくりしました。その時に悪い人たちは私達を簡単に騙すことが出来ました。私達に偽札を上げることが出来ました。私たちは新しい通貨をすぐ見分けることが出来ませんでした。
弟子たちの生きている頃、多分誰も初代のクリスチャンたちを惑わすことが出来なかった、と僕は思います。だって、もしだれがあえて「わたしは帰ったキリストだ。」と出張したら、ペテロかヨハネがすぐそれを打ち消すことが出来たでしょう。「これは嘘だ。私たちはイエス様を知っているので、これは嘘だと分かっています。私たちは主イエス様を親しく知っています。お前は違うのだ!」
2.主の再臨
13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、
13:25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
13:27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます
主はここで再臨の前に起こる宇宙的な災害のことを語ります。太陽と月は前ほど明るく輝くことを止めます。もし太陽の光がより暗くなるなら、もちろん月の光ももっと暗くなるはずです。月は太陽の光を反映するからです。しかし、私たちは月と太陽が暗くなったことに気付きましたか?私はそういうことを知りません。空気が汚れているので暗くなっていることを読みましたが、太陽や月の光が弱くなったことを知りません。
色々な人々は、車の排気ガスによって宇宙がもっと暑くなったと出張しています。しかし科学者達は地上の暖化は太陽の中の変化によると言います。(ひょっとしたら私達人間は自分達の可能性を過大評価します。自然の中には私達がまだ知らない力沢山いるかもしれません。)
しかし、天の万象の揺り動きは誰でも認めます。25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。私たちはこの預言の成就を見る事ができます。少し前に元の星がこの地球にぶつかる恐れがありました。幸いに衝突になりませんでした。流星が地上に落ちた記録はもう昔からありました。例えばBC500年にはたくさんの流星が地上に落ちた報告があります。
そして台風、洪水、土さ崩れのような気候の変化による災害は、地球の力のバランスは崩れたことを示します。私たちはこれを人の子の再臨が近い印として受け取る解釈の他に意味がありますか?
キリストの再臨は、私達人間人が無視出来るイベントになりますでしょうか?『皆さんがまだ気づいていないけれども、イエス様は実際にもうこの世に帰りました!』これはこの聖書の言葉と矛盾しています。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。この26節に書いてある御言葉を神の言葉として認める人は、これを生きている人々がみんな認めるイベントとして期待しています。クリスチャンでも、ノンクリスチャンでも認めるのです。世界の不正で悩んでいる人はこれを待ち望んでいます。正義を恐れている人はこの主の裁きを避けたいです。罪の赦しを受けた人はイエス様の再臨を楽しみにしています。とにかく、だれもこの再臨を否定することは出来ません。これは私達クリスチャンの希望なのです。

2014年10月5日日曜日

大きな苦難のスタート



早く逃げろ!
マルコ13,14-20
13:14 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
13:15 屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。
13:16 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
13:17 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
13:18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。
13:19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。
13:20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。
1.大きな苦難
この『終末の説教』には主が具体的に描いて下さったイベントは少ないです。沢山の怖いことが指されてありますが地震、戦争、飢餓のような災害です。クリスチャンの迫害も、信者達の心の中の愛の冷える危険。もっと肯定的な出来事は福音の世界中の進歩です。そして一番の出来事は救い主の再臨です。
早速主の再臨の前には、大きな苦難の日があるそうです。14節は、この大きな苦難が始まるイベントを指しています。『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っていることです。これは、ダニエル9,27の引用です。この御言葉はギリシャの王がユダヤ人を迫害している時期を予告しました。この預言の二番目の成就はローマ人のユダヤ人の暴動に対する反応です。ローマ人の軍隊はエルサレムの神殿に入り、ユダヤ人の目に偶像として見える方形の軍旗を庭に入れて置きました。これは『荒らす憎むべきもの』の言葉の意味だったみたいです。ローマ人の軍隊がエルサレムの神殿の中で旗を持ってきたということは、エルサレムの破壊のための最終的な戦いの前の時期です。
ユダヤ人は長い間ローマ人の支配を我慢しました。ローマ帝国のメンバーであることは色々な良い点もありました。ローマの軍隊は動労の安全を保障することが出来ました。人々は自由に外国に旅すること、遠いところの知合いに文通することが出来ました。もちろんそのために税金を払う義務もありました。ユダヤ人の宗教家は異邦人との接触が嫌いでした。国民主義者たちはローマ人を自分の国から追い出す計画を密かに計らっていました。熱心党の人たちは、もし彼らが勇気をもって戦うなら、神様は必ず彼らを助けると思っていました。しかしイエス様は繰り返してこの熱心党の人たちを警告しました。主は政治的な力を求めませんでした。わたしの国はこの世のものではない、と断言しました。(ヨハネ18,36)剣を取る者はみな剣で滅びます。マタイ26,52.
主の預言者の目の前にもはや宮の石が崩れる場面が見えます。戦う者たちが頼るいエルサレムの城壁の石が粉々に壊れる景色を主が見ておられます。都が包囲されている時には食べ物はなくなります。それで主は弟子たちに早く逃げるようにアドバイスします。
2.苦難の始まり
エルサレムの包囲は突然には行われません。主は当時のクリスチャンのために逃走し始める印を教えています。例えば、もし私たちが消防車のサイリーンの音を聞くと、近くに火事があると推測します。あるいは9月の初めにいつも地震警報の練習があります。その音が聞こえると、日本人は地震だと分かります。こういう印があると、気をつけなさい、と言う意味です。『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば。ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。14節。
しかし、この「憎むべきもの」は具体的に何ですか?旧約時代の人々にとって、憎むべきものは偶像に対して使う言葉でした。旧約には怖いことは、王様が都に偶像を許すことでした。エルサレムの宮は神様の家として建てられました。聖なる、唯一の神様はその民と共に住むためでした。しかし、愚かな王がその宮に偶像を立てて、偶像崇拝を勧めると、神様の御怒りを起こしてしまいます。もちろんその結果として敵の軍隊が都に攻撃し、人々を虜として連れて行きます。あるいは68年ー70年のローマとの戦争でエルサレムが破壊されます。民は全世界に散らされます。
こうしてユダヤ人のクリスチャンに、一つの選択がありました。国民の仲間たちと肩を並んでローマ軍隊に反乱し、自分の都を守るか ー あるいは逃走するかのどちらにしなければなりません。この状態にある人たちのために主は「ためらわず逃げなさい!」と勧めます。15節から18節まで主は「何よりも早く逃げなさい!」と勧めて下さいます。当時の家の中で戦争の危険の近寄ることは聞こえなかったでしょう。屋上で寝ているなら、戦争の雑音を聞いて、命を救うことが出来ます。しかし、長くためらってはいけません!昔の家には中の階段ではなく、外の階段しかありませんでした。山に逃げるために、前に少し暖かく着る物を持って行かなければなりません。階段を降りたら、もうすぐ走りださなければなりません。荷物を積む暇はないのです!逃げるしか出来ません。
3.この大きな苦難はどうしてそんなに大変だったのか?
17 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。エルサレムの包囲の大変なことは、人々の飢餓でした。ユダヤ人が一応都の中に集まったら、敵に囲まれた時に町を出ることはもはや出来ません。身重の女と赤ちゃんは十分食べることが出来ないかもしれません。また冬には旅人は寝るところが見つかりにくいです。
19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。これはどうしてでしょうか?どうしてエルサレムのための戦いはそんなに厳しかったでしょうか?ユダヤ人はとても熱心に戦います。それは彼らは昔包囲されたこともありました。
BC587年にはエルサレムはバビロンの軍隊に征服されました。ユダヤ人はこれを大きな恥として覚えました。彼らはこんなことが二度とは怒らないように必死に戦いました。我々が頑張れば神様は必ず私たちを守って下さると彼らが考えました。でも、彼らは負けました。そしてだいたい500年後で70年ADユダヤ人は二回目に都エルサレムを失いました。これはとてもつらい経験だったでしょう!
4.神様は私たち人間の救いを望んでおられます
20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。これは私たちが信じでいる神様の心を表しています。神様は、私たちが救われて、生きることが欲しいです。私たちの救いのために神様は御子をこの世に送って下さいました。
悪魔は私たちを失望させようとします。私たちをまず罪に誘います。しかし私たちが罪を犯したら、悪魔は「お前が罪を犯したので、神様のさばきに合う。お前が永遠に滅びる!」しかし神様は「罪を悔い改めなさい!」と勧めます。アモス5,4「わたしを求めて、生きよう!」クリスチャンたちは主の勧めに従いました。エルサレムのための戦いが始まる前に彼らが主の警告を思い起こしました。彼らはみんな逃げました。自分の命を守っただけではなく、福音の証を相変わらず続けました。世界の人々はイエス様の十字架の力を知り、罪からの救いを経験することが出来ます。今日に至るまで人々が、イエス様の十字架の力によって罪と悪魔から解放されます。もしあなたがそれを望んでいるなら、あなたの罪を主に告白し、主の赦しを受けて下さい!この恵みを与えて下さる主に感謝しましょう!