2014年8月18日月曜日

いつまでも守られて



いつまでも守られて
ヨハネ10,22-29
1祭りの挑戦
宮きよめの祭りはイスラエルの過去の輝かしい出来事を指しています。アレクサンドル大王はヨロッパとアジアのたくさんの王国を克服しました。その後でこの帝国は三つの部分に分けられました。イスラエルはアンテオクスエピファネスの支配下になりました。アンティオクスはイスラエルにギリシャの神話を無理に押し込もうとしました。彼はエルサレムの神殿にゼウスの像を立てました。これはユダヤ人を怒らせました。マカバヤ族の人たちはユダヤ人の反対運動を指導しました。エピファネス王に反対しました。いくつかの戦いの後でユダヤ人は勝ちました。マカバヤ族のユダは神殿をいわゆる偶像からきよめて、神殿の献堂式を行いました。この出来事を記念するために毎年12月の後半に宮きよめの祭りが行われました。ユダの宮きよめはキリストの前の165年にありました。(BC 165).
だいたい190年後で(AD30年)にイエス様はエルサレムにおられました。この宮きよめの祭りにユダヤ人は彼らの歴史の新しい始まりに見えた時期を思い起こしました。ユダヤ人が神様から約束された地はまた外国人のローマ人に支配されていました。当時の人々も信仰強いリーダーを待ち望みました。神様に油注ぎのある指導者が現れたら良いのに!
2不信仰の言い訳
今は神様に使わされた救い主が人々の前に立っています。これは神の民の勝利のチャンスです。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」とイエス様はマルタさんに言われました。しかし、私たちは信仰の必要な時に信じません!そして自分の不信仰のために色々な言い訳を使います。イエス様のおられるところには多くの病気の人々が集まりました。そして多くの奇跡が現れました。肉体的な癒し、精神的な癒しが与えられました。心に触れる言葉をイエス様が言われました。しかし26節に主は「あなたがたは信じません。」と言われました。
良い羊飼いは彼を必要とする羊の前に立っています。でも彼らは満足しません。羊は羊飼いを信頼し、彼の言葉を受け入れて、彼を頼ることは出来ません。彼らはイエス様を信じません。自分たちの不信仰を主のせいにします。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか?はっきりとキリストであるかないかを教えて下さい!24節。でも主はもう既に11節にはっきりと「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」と教えました。問題はただ、羊たちは牧者に従わないことです
こんなことは実生活にはありません。羊は特別賢い動物ではありません。私たちはそれよりも頭のよくない人を羊と言うかもしれません。羊はあまり速く走ることも出来ません。私たち人間は羊ほど同じ早く走れます。馬やダチョウはだいたい一時間に70キロメートルを走ります。
羊は鋭い歯もありません。爪で自分を守ることもできません。羊の目は遠くまで見れませんし、鼻は特別に嗅ぐことも出来ません。羊を指導する人間、彼らを世話する人間がいないなら、困るのです。しかし羊には一つの特異があります。それは27節に書いてあります。「わたしの羊がわたしの声が聞き分けます。」
3羊飼いの声を聞き分けること
わたしの羊がわたしの声が聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」パレスチナにはどの羊飼いも自分の群れのための家はありませんでした。羊たちはみんな共通の家に入りました。そこで寝ました。そして朝毎に2,3節の書いてある出来事が繰り返されます。「しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。」羊飼いは一匹、一匹の羊のための名前を知っていました。自分の名前を聞くと羊はついていきます。羊は自分の名前を呼んでいる羊飼いの親しい声を聞くと、必ずついて行きます。羊は知らない人の声に従いません。知っている声、懐かしい声に従います。これは羊の特異です。
今日も、こういう羊に似ている人間がいます。良い牧者の声が聞き分けます。すべての宗教は同じではない、と分かっている人はいます。真理が言われているかどうかと気づくことが出来ます。
例えば、主イエス様はマタイ13,45.46に本物の真珠を探している商人の話をされました。その人は毎日たくさん真珠を調べましたが、本物を見つけたら、それは一番だと分かり、そのために自分の財産を全て売り、この本物の真珠だけを買いました。これを大事にしました。
あるイラン人はドイツに来ました。靴屋さんを学びました。大家さんに聖書の学び会に招かれました。自分より年上の人を断ってはいけない、と彼が学びました。だから年上の大家さんの招きに従いました。彼自身は回教の信者でした。新しいことをたくさん見たり、聞いたりしました。驚きました。特にどうしてクリスチャンたちが神様と祈る時にあんなに親しく語ったことでびっくりしました。自分が慣れた宗教には神様とこれほど親しくはありませんでした。心の中で長い格闘が始まりました。しかし最終的に彼はイエス様を信じるようになりました。ある羊は良い牧者の声が聞こえました。それに従いました。
イエス様の声が心に聞こえるなら、いつもあんなに劇的な結果になりません。しかし私たちは従うか、従わないかのどちらにしなければなりません。みなさんはどうしますか?イエス様が一番だと決めましたか?
4イエス様にある安らぎ
28節「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、まただれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」そのとおりです。私たちはたくさんの教会堂のあるドイツに住んでいます。一目では、ここには多くのクリスチャンが住んでいるようです。しかし実は違います。長いキリスト教会の伝統がありますけれども、イエス様を信じている人は少ないですし、その影響は小さくなりました。
しかし、日本でクリスチャンとして生活するのはもっと難しいです。帰国する日本人のクリスチャンは心配するかもしれません。「私は日本でどうしてクリスチャンとして生活が出来ますか?本当に毎週教会へ行けますか?日曜礼拝は普通午前にあります。仕事がもっと多くなるはずです。たくさんの試練、たくさんの迫害、たくさんの問題があります。」
またニュースで見る政治的な記事は恐ろしいです。イスラム教徒がクリスチャン達を迫害します。残酷です。テロリスト達はクリスチャン達を殺害します。もしこういうような迫害が日本にも、ドイツにも、アメリカにもあったら、どうでしょうか。礼拝の中の信仰告白は一つのことですが、異教に対する証は違います。死に至るまでもイエス様に忠実を保つのは、少し違うでしょう。
5神様はあなたを守って下さいます
主イエス様はここで何を言われますか? わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません27.28節 だれもわたしの羊をわたしの手から奪い去るようなことはありません。主イエス様はそのための条件を立てません。「もしわたしの羊が一生懸命に頑張るなら、だれも彼らをわたしの手から奪い去ることはありません。』と私の聖書に書いてありません。「だれもわたしの羊をわたしの手から奪い去ることはない」とあります。これは勇気のあるクリスチャンのために、熱心なクリスチャンのためにあります。しかしこれは心細いクリスチャンのためにも、疲れているクリスチャンのためにもあります。みんなのためにあります。だれも私達を主の御手から奪い去ることはありません。
ここはDietrich Bonhoeffer教会です。彼はナチスで迫害されて、処刑された牧師です。ナチスたちに反対した小さな牧師のグループに属していました。長い間牢屋にいました。あらゆる機会に
Bonhoefferはナチスたちにイエス様の証を伝えました。ナチスには希望がなく、クリスチャンは主の再臨を待ち望んでいることを証しました。そのために多くの人々は彼をヒーロとして尊敬します。しかし彼の詩「Wer bin ich?」にBonhoefferの心の中の格闘も現れてあります。わたしはだれですか?わたしは本当にみんなが思っている輝かしい勇士ですか?それとも自分の死を恐れている臆病者ではないですか?わたしは時には人々の前で強く見えます。時には自己同情を感じている弱虫です。時にはわたしは自分自身を知らない。でも神様は私のことをご存知です。それは十分です。私は神様に知られています。
あなたは強くなくて良いです。神様の力は私達の弱さに十分に現れます。敵はクリスチャンの信仰を滅ぼそうとしたのは、何回でしょうか?いくらでもです。しかし敵はいつも失敗しました。どうしてでしょうか?クリスチャン達がそれほど熱心、勇敢、忠実だったからですか?違います。神様の御手がそれほど強いからです。神様は信頼している人を引き離しません。
ある兵隊は戦争の時に、彼のことを心配していたお母さんに書きました。『どんなことがあっても、私たちは神様の御手より深く落ちることはない。』これはクリスチャンの強い慰めです。どんなことがあっても、私たちは守られています。いつも。いつまでも。だれも私達を主イエス様の御手から奪い去ることはありません。

2014年8月15日金曜日

17日8月14年のテキスト



ヨハネ10章22~29節
10:22 そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。
10:23 時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。
10:24 それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」
10:25 イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。
10:26 しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
これは、2014年8月17日の礼拝説教のテキストです。礼拝の後でここで説教を発表する予定です。
よく出来るようにお祈り下さい。