2014年10月11日土曜日

私たちが惑わされないように



偽キリストたちと本当のキリストの現れ
マルコ13,21-27
3:21 そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。』とか、『ほら、あそこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
13:22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
13:23 だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。
13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、
13:25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
13:27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます
1.にせキリストたちによる惑わし
終末の一番の危険は主によって、教会の外からの迫害ではなく、教会の中からの惑わしです。迫害は各時代に起こりましたが、それは教会の力を奪うことは出来ませんでした。クリスチャン達の信仰の火は迫害によって消されません。イスラムからの殺害者たちはイエス様を信じる信仰を殺せません。逆に多くの場合、迫害の激しさによってはクリスチャンの人数が増えました。教会にとって危ないことは、偽キリストやにせ預言者の活動です。
22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
迫害の時に,みんなは一生懸命に主の再臨がすぐなるように祈ります。心から願っていることについて私たちはそんなに細かく判断しません。詳しいことをすべて聖書の預言に合わなくても、祈りが聞かれたと信じたいです。とにかく救いがすぐ来ます。
魅力的な人格の人々は教会の兄弟姉妹に影響を及ぼします。これだけでは悪くないです。人が自分の勤めを自動的に果たしているか、あるいは責任感をもって熱心に教会に使えて、正しいコースを示し、励ましやサッポートの必要な人を手伝っているか、この区別は分かります。例えば主はペテロに「わたしを愛しますか?」と聞いて、ペテロが『はい!』と答えてから、「わたしの羊を僕しなさい」と任命しました。心より主のために奉仕するリーダーは教会の力となります。
しかし、主の警告に当たる『偽キリストと偽預言者』は、奉仕を主のためではなく、自分のためにする人々です。主の栄養を奪おうとする人々です。神様に使わされている救い主や預言者のような振る舞いをしますが、聖書と違うことを教えています。警告や批判的な声に対する耳はありません。
主は教会を惑わす人たちに対して弟子達に注意します。時々小さなグループは教会全体に自分の意見を押し込みます。もしのなかで不思議な力のあるリーダーが入っているなら、そして教会全体が間違った方向へ行ってしまうなら、それは大変な結果になります。私達がそうならないように、どうしたら良いですか?
主イエス様は聖書のいくつかの箇所で、偽預言者に従わないように警告します。私たちはどうやって偽預言者を見分けることが出来ますか?その前に深い神学を学ぶ必要がありますか? あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。マタイ7,16またガラテヤ5,22.23に御霊の実が載ってあります。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。簡単に言いますと、もし人と話してから、自分が神様に愛された気がするなら、あるいは、自分自身もこういう素晴しい人になりたい気持ちが起こされたら、これは聖霊の実です。しかし偽預言者には 敵対、怒り、ねたみなどが感じます。神様が聖なる方だ、ということを感じません。また神様の愛をも感じません。神様を賛美したい心が中々起こりません。これは偽預言者です。
お金の場合には、時々偽札の警告があります。私たちは騙されないために、どうしたら良いですか?私たちはお金の本物を細かく知らなければなりません。私たちはドイツに帰った時には、ある時にはマルクの代わりにユーロが使われました。私たちはびっくりしました。その時に悪い人たちは私達を簡単に騙すことが出来ました。私達に偽札を上げることが出来ました。私たちは新しい通貨をすぐ見分けることが出来ませんでした。
弟子たちの生きている頃、多分誰も初代のクリスチャンたちを惑わすことが出来なかった、と僕は思います。だって、もしだれがあえて「わたしは帰ったキリストだ。」と出張したら、ペテロかヨハネがすぐそれを打ち消すことが出来たでしょう。「これは嘘だ。私たちはイエス様を知っているので、これは嘘だと分かっています。私たちは主イエス様を親しく知っています。お前は違うのだ!」
2.主の再臨
13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、
13:25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
13:27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます
主はここで再臨の前に起こる宇宙的な災害のことを語ります。太陽と月は前ほど明るく輝くことを止めます。もし太陽の光がより暗くなるなら、もちろん月の光ももっと暗くなるはずです。月は太陽の光を反映するからです。しかし、私たちは月と太陽が暗くなったことに気付きましたか?私はそういうことを知りません。空気が汚れているので暗くなっていることを読みましたが、太陽や月の光が弱くなったことを知りません。
色々な人々は、車の排気ガスによって宇宙がもっと暑くなったと出張しています。しかし科学者達は地上の暖化は太陽の中の変化によると言います。(ひょっとしたら私達人間は自分達の可能性を過大評価します。自然の中には私達がまだ知らない力沢山いるかもしれません。)
しかし、天の万象の揺り動きは誰でも認めます。25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。私たちはこの預言の成就を見る事ができます。少し前に元の星がこの地球にぶつかる恐れがありました。幸いに衝突になりませんでした。流星が地上に落ちた記録はもう昔からありました。例えばBC500年にはたくさんの流星が地上に落ちた報告があります。
そして台風、洪水、土さ崩れのような気候の変化による災害は、地球の力のバランスは崩れたことを示します。私たちはこれを人の子の再臨が近い印として受け取る解釈の他に意味がありますか?
キリストの再臨は、私達人間人が無視出来るイベントになりますでしょうか?『皆さんがまだ気づいていないけれども、イエス様は実際にもうこの世に帰りました!』これはこの聖書の言葉と矛盾しています。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。この26節に書いてある御言葉を神の言葉として認める人は、これを生きている人々がみんな認めるイベントとして期待しています。クリスチャンでも、ノンクリスチャンでも認めるのです。世界の不正で悩んでいる人はこれを待ち望んでいます。正義を恐れている人はこの主の裁きを避けたいです。罪の赦しを受けた人はイエス様の再臨を楽しみにしています。とにかく、だれもこの再臨を否定することは出来ません。これは私達クリスチャンの希望なのです。

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